黒牟田・応法の歴史

一部盛り上がった地形(くろ)と湿地帯(牟田)があった土地であったために付いた地名とされる黒牟田。
そして弘法大師からとられたものだと言われる応法。

日本で最初に磁器を作ったのは李参平と言われているが「肥前陶磁史考」(中島浩氣著)によれば李参平が来日する以前に黒牟田・応法地区では磁器が作られていたのではないかと考えられている。

江戸時代、有田焼の製造は佐賀鍋島藩の管理下におかれ地域により造る製品が定められていた。
黒牟田は型打角鉢および小判型皿が藩の決めた規定の製品であるが、後には他山の追随を許さない二
尺以上の大丸鉢や二尺五、六寸の鯛型鉢等も製造されている。

応法は神酒瓶(みきびん)小瓶、油瓶等が規定の製品であったが藩の管理下では質のいい陶石は得ら
れなかったため周囲にある山から陶石などを捜しだし利用した歴史がある。
また、応法には大神宮という神社があり、別名「磁山神社」と呼ばれている。これは、磁器を奉る神社であり、ここの御神体を移して今の「陶山神社」ができたという言い伝えがある。このことからも、李参平以前にこの地区で磁器が焼かれていたのではないかと言われている。

現在の黒牟田・応法は有田で一番窯元が多い地区で、約三十軒ほどの窯元が集まっている。その優れた
伝統技法は今の有田焼に受け継がれ、白く美しい磁肌や華やかな絵付けを特色に、使いやすさや丈夫さ
を考慮した業務用食器・日用食器、美術品やインテリア用品等も生産されている。

●参考文献 肥前陶磁史考/肥前陶磁史/有田町町史

タイトルとURLをコピーしました